第2回電王戦の結果を受けて、今後の将棋界を考える内容でした。
その中で、以下の2点が印象に残りました。
▼アドバンスド・将棋
チェスの世界では、パソコンの持ち込みを許可した「アドバンスド・チェス」という対局があるそうです。
コンピュータを道具として使うことで、さらに質の高い対局を目指すものだとか。
記事の中で、そういった対局の方法もあると指摘していました。
これはイイ(・∀・) と思って、「アドバンスド将棋」で検索したら、先月、電気通信大学でその試みがあったそうです。
→アドバンスド将棋イベント
いずれプロ将棋界でも開催されるのでは?
今はコンピュータ将棋とプロ棋士の実力がぎりぎり拮抗しているから、両者の対局に関心が集まります。
やがて、コンピュータ将棋が圧倒的に強くなった時代には、コンピュータを道具として使った対局に関心が移りそうです。
もしかしたら、電王戦はその方向に行くかも知れませんね。
▼見世物だという懸念について
日経新聞の記事の中に、次のような内容がありました。
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(コンピュータとの対局は)「将棋に人生をかけたプロ棋士が、見世物に」(なる懸念がある)
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こういった心配をする記事に驚きました。
私は、「プロ」というのは「見世物」のことだと思っていたからです。
たとえば、草野球は見世物ではなく、プロ野球は見世物です。
草野球の天才であっても、1円にもなりません。
素人とプロとの違いは、強いかどうかではなく、見世物かどうか、という点です。
見世物が嫌なら、プロをやめて、人知れずやっていればいいと思います。
プロになるというのは、見世物になることを意味します。
そうでなければ、経済的に成り立ちません。
イチローが素晴らしいのは、メジャーリーグという見世物を沸かせるからです。
「僕は野球が好きなだけなんだ。見世物じゃない」というなら、プロをやめて草野球をやるしかありません。
コンピュータ将棋との対局は、世紀の見世物です。
それは「プロ冥利に尽きる」ものであって、「見世物になるから嫌だ」というものではない。
ですから、将棋に人生をかけている人を見世物にするのは可哀想、というような発想で書かれた記事には、違和感があります。
将棋に人生をかけた人だからこそ、その舞台に上がることが許されるのです。
それは名誉なことです。

