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ネット将棋生活
ネット将棋とSOHO生活。将棋倶楽部24は卒業
カテゴリ:将棋から学んだこと( 11 )
人生を振り返ったときの感慨
元女流棋士の林葉直子さんのブログをよく拝見しています。

→ 最後の食卓(林葉直子オフィシャルブログ)

病気になった後も、元気そうな様子がつづられていて安心します。

林葉直子さんについては、2年前にスポニチが記事にしています。

→ 林葉直子 死の淵に立つも「生きることを捨ててはいません」

この記事はテレビ番組をまとめたものです。

大病をして死の淵に立ったときに、「本当に自分の人生、楽しかった」という心境に至るのは、本当に素晴らしいことだと思いました。

私も中年になって、余命とか死について意識することがあります。

「好きなことをやってきた。後悔はない」と感じられるかどうかが、一番大切なことだとつくづく感じます。

日常を漠然と生きていると、どうしても将来不安が頭をかすめて、不安から逃れるために金とか世間のしがらみが重きをなすようになります。

将来不安は、死の不安を直視していないから沸き上がると思います。死を思えば、金や世間に囚われて生きるなんてありえないことです。

要するに、死の意識が足りないと、金や世間体を目指すようになってしまう。

就職活動をしている若者たちの様子をみると、将来不安にかられている人が多いように見えます。私自身もかつてはそうでした。

じゃあ、何を指針に生きるべきか。

それは「楽しかった。好きなことをやってきた」と林葉さんのように人生を振り返ることができることです。

死を前にしたときのことを考えて、そう自らの人生を振り返ることができるかどうか。これが私にとっての生きる指針です。

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by clickshogi | 2016-11-05 15:29 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
自分の願いよりも、現実を見る
将棋界の第一人者である羽生三冠は、数多くの名言を残しています。

著作も多く、メディアでのインタビューにも積極的に応じているからだと思いますが、言語感覚においても非凡なものがあるからでしょう。

羽生さんの発言の中で印象に残っているのは次の一文です。

相手のミスがあって、初めて形勢は逆転する。

このフレーズを見たとき、鳥肌がたったのを覚えています。

もちろん将棋というゲームの性質を考えれば、当然のことでもあります。形勢が離れてから、最後まで相手に最善手を指されたら逆転はありえないので。

ただ、そういった次元を超えて、示唆に富むフレーズです。

通常、私たちは自分の行為を過大に解釈しています。「自分が頑張れば・・」「自分が努力すれば・・」という発想が蔓延していますね。

しかし、勝負の世界において、自分の都合を優先させる発想は通用しません。

どこまでも現実を直視して、自分の及ぼせる影響力を冷静に把握したのが、上記の言葉だと思ったんです。

鬼気迫るほどの冷静さと客観性。
真実の言葉とは、こういうものでしょうか。


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以下のサイトで、羽生さんの名言がまとめられています。
名言の深海>羽生善治
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by clickshogi | 2012-12-21 16:52 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
米長会長のラストメッセージ
米長会長の訃報に接してから一晩あけました。
昨晩は、メディアでも大きく取り上げていました。

メディアで報じられていたことですが、米長会長のWEBサイトには2週間ほど前の日記が残っています。
生前の米長会長が一般向けに公開したもので、最後のメッセージとなりそうです。

米長邦雄の家>まじめな私

人生すべてが感謝である」という心境が綴られていました。

そして、こんな一文も。

やっぱり俗人ゆえに葬式に来てもらいたくないという人間がいます。

か、会長。なんて大人気ないことを。

しかし、こういった自分の気持ちを隠さずにオープンにできるところに、米長会長の魅力があるように思います。

大人の振舞い、大人の発言、といった窮屈な世間体が日本には渦巻いていますので、自由奔放に振舞ってくれる年配の方をみるとホッとするんですね。

何歳になっても、どれだけ重責の立場にたっても、自分の気持ちに率直になって生きていい。
米長会長が人生をかけて残してくれたメッセージのような気がします。
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by clickshogi | 2012-12-19 15:49 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
好きか嫌いかではなく、必要か不要か。
渡辺竜王が先日、印象的なことを語っていました。
「詰め将棋は好きではない」というのです。
名人戦第6局のニコニコ動画解説でのことです。

「好きではないけど、必要だからやっている」という趣旨でした。
聞き手の女流も驚いていましたが、たしかに意外感があります。

プロ棋士になるほどの人たちは、将棋に関わることは好きだろうと勝手に想定していました。
重要なトレーニングの詰将棋なら、なおさら好きだろうと思っていました。
しかし、必ずしもそうではないようです。

好きではなくても、強くなるために必要だからやる。

これはよく考えると、当たり前のことかも知れません。
たとえば、プロスポーツ選手たちは、筋トレなどのトレーニングが必須だと思いますが、必ずしもそういった地道な努力が好きなわけではないでしょう。

好きとか、嫌いとか関係ない。
強くなるために必要なことをやる。(目的を達成するために必要なら、当然やる)

これができる人たちだけが、仕事で成果を出せるのだと思います。
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by clickshogi | 2012-06-24 23:03 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
自己流を捨てる
このブログのアクセス解析を見て気づいたことがあります。
「将棋 強くならない」
「将棋 勝てない」
「レーティング 上がらない」
といった検索キーワードでブログにアクセスしてくれる人がけっこう多いことです。

私自身、かれこれ10年近くネット将棋をやり続けたわけですが、指しても指しても強くならない時期が多かったように感じます。

どうやって強くなるかについては、「将棋倶楽部24でR2300になる法」まとめの記事をぜひ見てください。高段者となった人たちのアドバイスを一覧できます。

それを見ると、みんな「勉強」をしていることがわかります。
棋書、観戦、感想戦、詰将棋など、「対局」以外のことをやっているみたいです。

対局だけを積みあげても上達しないというのは、私の経験で実証済みです。
将棋の対局をやっているのだから、少しずつ上達するはずだと思ってしまいがちですが、それは間違いだということを10年かけて学びました。対局以外の何かをやらないと無理みたいです。

対局だけをしていたら、10年前とまったく同じレーティングだったかも知れません。どうにかレーティングが上がってきたのは、詰将棋とプロ将棋観戦をしたからだと判断しています。(以前書いた、事実上の指導対局といったこともありましたが)

ところで、対局しても上達しないのは何故でしょうか。
それは「気づきがないから」だと思います。ネット将棋の早指しをどれだけやっても、学ぶことがないんですね。

上達するというのは、脳に新しい神経回路ができることでしょう。漠然と対局を重ねても、新しいことは何も起きず、学びが何もないわけですから、有益な神経回路はできないようです。(感想戦をすれば別ですが)

ですから、将棋の対局自体には、自己流を繰り返すだけで新しい成長はありません。
感想戦をして学びの機会をもったり、高段者の対局を眺めて「へー、そうやって指すのか」と感心したり、プロ将棋のテレビ解説や棋書を読むことで定跡や手筋を学んだ方が良いと思います。
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by clickshogi | 2011-11-29 02:49 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
なぜ将棋をやるのか
将棋の上達に時間を割いても、実生活でメリットはさほどありません。
なぜ将棋を自分はやるのか?ということを考えてみました。

もちろん、「面白いから」というのが正直なところです。
趣味として単純に楽しいからやっているだけです。

しかし、もう少しつっこんで考えると、次のような理由に突き当りました。

「濃密な時間が過ごせるから」

これはある程度は真剣に将棋やっている人なら思い当たることだと思います。
考える30秒の時間が永遠のように感じることがあります。
深く自分の「読み」の中に潜行していく感覚です。

そして、好敵手に恵まれたときには、集中力の限界が試され、一手ごとに世界が変わっていくような「特殊な時間」を過ごす将棋となります。

こういう将棋を指しているあいだは、日常の悩みだとか些事がまったく気にならなくなります。
すべてを忘れられる時間です。
つまり、幸せな時間です。

こういった濃密な時間は、「好きで真剣に」取り組みさえすれば、あらゆる分野で可能だと思います。
趣味、仕事、人間関係。すべてで可能なことです。

幸せとはこういうことだと教えてくれたのが将棋というわけです。

(しかし、私は仕事でこういう感覚になったことがありません。何かが欠けているようです)
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by clickshogi | 2010-07-06 13:04 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
忘れられない対局2
忘れられない対局1の続きです


4段の人との対局のあと、1日か2日で、自分は2級から初段へと駆け上がりました。

何連勝したか覚えていないくらいです。それまでの自分と同じレベルである2級の人との対局は、空から見下ろすような感じで余裕で勝つことができてしまいました。

今まで、あの対局の前後ほど自分が変わったという経験はありません。将棋においては別人になったという感覚です。

たった一局で変わったのです。何十ヶ月の勉強とか、何百回もの対局よりも大きな変化でした。

要するに、自分を遙かに超えているような人との接触が大切なのだと思います。自分と同じレベルで過ごす何十年という月日よりも、その一瞬の方が価値があるのかも知れません。
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by clickshogi | 2008-06-15 14:51 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
忘れられない対局1
ネット将棋で思い出に残る一局があります。

数年前、将棋倶楽部24で自分は2級程度でした。
そのときに4段の人に勝ったことがあるのです。

序盤で相手側に大きなうっかりミスがあり、こちらに大駒の駒得がありました。実力が同じ程度だったら、投了してもおかしくない状況だったかも知れません。

ただ、なにせ2級と4段という実力差ですから、そこからがすごい。4段の人はまったく隙を見せずに一瞬も気が抜けないような対局になりました。

結局、「早指し」という時間のない中で自分が苦し紛れに指した手が偶然にも最善手だったりして、どうにか勝つことができました。終盤に差はほとんどない所まで追いつかれていたと思います。

汗びっしょりになっていました。勝ったときには、今までにないような感動的な気分でした。本当の将棋を指すことができたという感覚でした。

序盤に大きな差があったので、この対局は事実上の「駒落ち指導対局」といえるかも知れません。しかし、とても大きな自信になったのを覚えています。

そして、この話には続きがあります。
次の記事で書きたいと思います。


忘れられない対局2へ続きます。
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by clickshogi | 2008-06-15 13:07 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
ネット将棋と不毛感
最近、また2段に落ちてしまいました。

レーティングが大幅に下落すると、なんとも不毛感が押し寄せてきます。

これだけの時間を将棋に費やしたのは何だったのかと。

ですから、勝ち負けとか、レーティングとか、そういうのだけを将棋の目的にすると、結局は虚しい気分になります。

そこで、自分は将棋に違ったものを求めるようにしています。

それは精神状態を計るバロメーターです。前に「精神状態とIQ」という記事を書きましたが、精神的に落ち着いてないと将棋は勝てないです。

将棋を指すことによって、今、自分がどういう精神状態にあるかを客観的に計ることができる気がします。

心が焦っていたり、浮ついていないかをチェックできます。

メンタルな面が結果に直結するという点で、書道に似ているかも知れませんね。あるいは、ゴルフとも近いかも知れません。

いい将棋が指せるように日常生活を過ごしていきたいと思います。
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by clickshogi | 2008-06-08 13:36 | 将棋から学んだこと | Comments(0)
囲碁将棋部
将棋を覚えたのは小学生の頃で夢中になったものでした。

しかし、指す相手がいない。将棋を知っている友人達よりも強くなったので、相手がいなくなってしまったのです。

今でこそネット将棋がありますが、当時はそんなものはありません。そして、次第に将棋とは縁遠くなりました。

高校や大学には「囲碁将棋部」というものがありました。しかし、入りませんでした。アキバ系のイメージがあったからです。

当時は「アキバ系」という言葉はありませんでしたが、言わんとするところはわかっていただけると思います。

本当は将棋が好きで、そういう部活動なりサークルに入りたかったのにイメージで敬遠してしまった。

これは人生で後悔していることの一つです。

結局、高校と大学のどちらもテニスサークルに入りましたが、女の子にもてたかったからという不純な動機だったので、テニスそのものに興味がない。だから、得るものがありませんでした。

結局、やっていることに興味がなければつまらんです。その行為自体に興味がもてない以上、他にどんな理由があっても不毛なことだと思います。

好きなことをやらないというのは不幸な道だと思い知りました。
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by clickshogi | 2008-06-05 13:23 | 将棋から学んだこと | Comments(0)